2009年06月24日

物流及びサービス他

日立物流は、システム物流・国際物流の両分野において業績を伸ばしている。海外の販売子会社は営業拠点を拡大しており、日立グループの売上高に占める海外部門の比率は毎年増加している。

売上高に占める比率は11%、2万8,481名の従業員を抱える。関連企業に住宅・不動産事業を行う中央商事、日立ライフなど。

日立キャピタル、日立保険サービスを通じて、自社製品を利用したリース事業や、住宅ローン、自動車ローン、クレジットーカード事業を営む。売上高に占める比率は5%、4,166名の従業員を抱える。

元が鉱山で使う電動機(電動モーター)の修理から始まったためか、モーターに於いては同業の三菱電機と肩を並べる日本を代表するトップブランドの一つとなっている。故に日立製作所の異名は「モートル(モーター)の日立」とも言われ、多くの技術者、電気店に異名が浸透している。特に、モーターを使った電化製品(冷蔵庫、エアコン、洗濯機)は人気が高いし、他の製品に比べると善戦している製品が多い。(日立製作所発祥の地である茨城県日立市には「日立モーター最中(もなか)」という名物のお菓子がある。他にもレトロ調の「日立扇風機最中(もなか)」もあるが、これは戦前の対米輸出機種を模したものであると言われる)。
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日立製作所中央研究所は、東京都国分寺市にある。1942年小平浪平により創立。1970年代は、厳密に評価を数値化したため研究業績が落ちた。そのため現在ではポートフォリオ・メソッド(研究開発テーマの評価手法)を使っている。情報、エレクトロニクス、ライフサイエンスの3分野が柱である。主な業績としては、初の国産大型計算機(1966)、世界初の個体撮像素子(1978)、64キロビットDRAM(1980)、電子線ホログラフィー技術、スーパーコンピュータ(1982)、超伝導トランジスタ(1986)、DNA高速解析技術(神原秀記ら、1993)、垂直磁気記録方式(2000)、指静脈認証技術(2000?)などの開発である。

2005年2月、プラズマディスプレイの開発面において松下電器産業と提携。部品関連の共同開発や原材料の共同調達、並びに特許管理会社を松下と合弁で設立することを計画している。

コンサルティング事業の集約を行い、日立コンサルティングを設立した。日立グループ以外でも、IBMのPwCC買収(日本ではIBMビジネスコンサルティングサービス設立)、NECのアビームコンサルティング、富士通の富士通総研など、電機メーカーがコンサルティング事業を集約する動きが活発化している。

2009年06月09日

治外法権(ちがいほうけん)とは

治外法権(ちがいほうけん)とは、一国の国内であって、その国の三権が完全には及ばない特権であり、外部の法によって治めることができる権利。

治外法権は、外交上の慣例として、派遣国の認証があり、接受国による信任状の受理(接受)があった場合において、派遣された外交官に対して相互に認められる特権として確立されてきた。ウイーン条約においては、外国の公使館および外交官特権を所持している外交官に認められる。また正式訪問中の国家元首や首相、外務大臣、国内に停泊中の公用船(軍艦含む)、公用機(軍用機含む)の内部に適用されると解される(民間船舶・航空機については旗国主義を参照)。
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何らかの戦争や強制外交が生じ、その結果、戦勝国などに治外法権の租借地を期限付きで認めた場合などには、片務的な特権としての治外法権の問題が生じる。このさい問題となるのは不平等条約にもとづく領事裁判権である。多くの場合は接受国の認証なく、単に戦勝国の国民・あるいは兵士であるという地位において治外法権を享受することが可能となるため、外交交渉においてこれらを撤廃することは重要な外交課題となる。

治外法権の慣例はオスマン帝国で用いられ、メフメト2世がコンスタンティノープルに商館を置いたジェノヴァやヴェネツィアに対して与えたものが知られる。またスレイマン1世は対神聖ローマ帝国の観点からフランスに近づきカピトゥレーションの特権を与えた。西欧のアジア政策に治外法権が登場するのはこのカピトゥレーションに由来する。

日本では、安政5年6月19日(グレゴリオ暦1858年7月29日)にアメリカ合衆国の間で結ばれた日米修好通商条約をかわきりとし7月にイギリス・オランダ・ロシアと、9月にフランスと相次ぎ締結した条約(安政五ヶ国条約)に治外法権の問題が含まれていた。この不平等条約は、明治27年(1894年)7月16日に結ばれた日英通商航海条約により初めて撤廃され、ついで日本が日清戦争において清に勝利した後で、明治32年(1899年)7月17日に日米通商航海条約(昭和15年(1940年)1月26日失効)が発効されたことにより失効した。

2009年06月06日

明治以降の北辰一刀流(水戸藩伝の系統)

北辰一刀流開祖・千葉周作及び子の奇蘇太郎、栄次郎、道三郎、多門四郎が水戸藩に使え、水戸三流の一つとして北辰一刀流を師範をした。また、海保帆平も水戸藩の藩校・弘道館で剣術を指導した。弘道館剣術方教授であった小澤寅吉は明治時代に道場・東武館を開き北辰一刀流剣術を指導したことにより、水戸藩に伝わった系統が明治以降も残った。また、千葉栄次郎と千葉道三郎に北辰一刀流を学び玄武館塾頭も務めた下江秀太郎が茨城県警察部の撃剣師範に就任したことに伴い明治18年(1885年)から20年(1887年)まで東武館で指導した。のちに東武館第2代館長となる小澤一郎や門奈正が下江の指導を受けた。この系統は小澤家が伝え東武館で指導が続けられた。東武館第4代館長の小澤武は日本古武道協会より北辰一刀流宗家に認定された。小澤一郎は教士として大日本帝国剣道形制定の際、主要地域代表として参加し、小澤武は全日本剣道連盟剣道形審議委員を務めた。

下江秀太郎は、明治20年(1887年)茨城県警察を辞し、警視庁撃剣世話掛となった。下江は水戸東武館で指導した門奈正を警視庁に就職させ、下江がいた警察署に配属させた。門奈は下江より北辰一刀流を学び、後に「下江の技を最も受け継いだ」と評された。
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東武館で小澤寅吉より北辰一刀流を学んだ内藤高治は、東京に出て榊原鍵吉の道場での1年間の修行と回国修行を経て、警視庁撃剣師範たちに試合を挑み連勝した後、警視庁に就職し、下江、門奈と同じ警察署に配属された。その後、内藤、門奈とも大日本武徳会本部の剣道師範に就任した。

これ以外に、東武館で剣術を修行した石井三郎は、山縣有朋の支援を受けて大正14年(1925年)に皇道義会を設立した。石井は皇道義会の道場として東京に皇道義会東武館道場を設立し、水戸東武館と大日本武徳会本部で修行した市毛正平を皇道義会東武館道場の初代師範とし、第2代師範は小澤豊吉(水戸東武館第3代館長)が就任した。昭和初期、皇道義会は民間としては最大の武道団体となった。

小澤家から派生した系統としては、小澤豊吉(水戸東武館第3代館長・皇道義会東武館第2代師範)の伝えた形が、皇道義会の内弟子であった谷島三郎から茨城県龍ケ崎市の岡嶋泰治、椎名市衛に受け継がれている。

2009年04月23日

東アジアの屋台

台湾の屋台
台湾では、早朝から粥、麺類、魯肉飯、米加工品、サンドイッチ、フレンチトースト、おにぎりなどの軽食と豆乳、牛乳、コーヒーなどを売る屋台が、駅や市場の周辺、商店街などで営業を始め、朝食を取る人が訪れる。昼も同じような場所で、昼食に適した麺類などを売る屋台が出る。

主な都市では(特にホーロー人地区)、夕方以降から深夜にかけてナイトマーケット(中国語:夜市、ye4shi4 イエスー)(中国語版の記事)に屋台が登場する。台湾語では「路邊攤」(ローピータアー, lou7-piN7-taN3-a2) と呼ばれる。路面全体を歩行者天国にするか、あるいは両側の路肩だけを利用した道路の一定区画に屋台が並ぶ。これらの屋台の中には、麺類、揚げ物、炒め物、カットフルーツ、日本起源のたこ焼き、どら焼き、かき氷、刺身、寿司など多様な食品を提供するところもあれば、衣料品や雑貨を売る店もある。このため、地元民だけでなく、海外からの観光客にも人気が高い。 有名な夜市として、台北市士林地区の「士林夜市」(北台湾最大規模)、大同区の「寧夏夜市」、萬華区の「華西街夜市」、松山区の「饒河街夜市」、台湾師範大学近くの「師大夜市」、台湾大学本部近くの「公館夜市」、台北県永和市の「楽華夜市」、台中市の「逢甲夜市」(中台湾最大規模)、高雄市の「六合夜市」などがある。小都市の夜市は土曜日だけなど限られた日に立つ。

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中国の屋台
中国の本土でも、台湾に似た形態の屋台が見られるが、売る食品は地域ごとに異なる。たとえば、北京でみかける食品では、天津煎餅、焼き芋、ゆでトウモロコシ、甘栗などが多い。

地域によっては、夕方以降、歩道や広場を使って衣料品、雑貨類を販売する大規模な市場が現れたり、歩行者天国状態にした、食品の屋台街が現れる場所もある。

香港の屋台
香港では、「大牌?(広東語 ダーイパーイドン)(中国語版の記事)」と呼ばれる屋台が、麺類、粥、炒め物などの中華料理(広東料理が中心)を出すが、1980年代以降路上での営業は禁止される地域が増え、基本的に公園の一角のような定められた場所に集められて営業している。ほかに、自動車を利用した移動販売店舗も認められるが、許可取得に要する費用が高く、営業できる場所も制限を受けるため、日本のように一般的ではない。

これ以外に、プロパンガスコンロを仕込んだカートを使って、煮込み料理、揚げ物などを売る業者が街角に現れることがあるが、基本的に無資格販売であり、警官がパトロールに現れると、カートを押しながらクモの子を散らすように逃げる姿が見られる。

夜に道路を利用して店舗を出す例では、廟街や西洋菜街(女人街)が有名であるが、衣料品や雑貨の販売に限られる。

東南アジアの屋台
日本では屋台は祭りの軽食や、あるいは夜の簡易酒場といった位置づけになりがちなのに対し、東南アジアでは屋台は庶民の生活により密着した存在である。昼食から営業し、持ち帰り用、あるいはその場で簡単な椅子とテーブルを備え本格的な料理を供する場合が多い。お互いの店舗で厳しい生存競争にさらされていることが多いため、一般的に値段が安く、味も満足のいく場合が多い(en:Mamak stall)。


タイの屋台 [編集]
本格的な食事を提供する屋台から、簡易屋台まで様々。カオマンガイ、カオカムー、パッタイ、カオパット、ガイヤーン、カオナッペ、バミー、クイティアオ、タイ風カレー、トムヤンクンなどのタイ料理から場所によっては点心やパクテーなどの中華料理、カレーなどのインド料理やケバブなどのアラブ料理などがある。簡易屋台でも果物、ガイヤーン、生絞りオレンジジュースなどの飲料など様々なものが売られているが、特徴的なもので食用の昆虫や焼きおにぎりのようなものなど、イサーン料理を起源とするものもある。

2009年04月19日

ルキウス・アエミリウス

紀元前168年、ローマはスキピオ・アフリカヌスの義弟に当たるルキウス・アエミリウス・パウルスを執政官に選出した。アエミリウスは直ちに軍を率いて2方面作戦を開始する。アエミリウスはプブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルムを部隊長とする小隊(兵8,200、騎兵120)を派遣、コルクルムは夜のうちにアドリア海の沿岸沿いに進軍してマケドニアの西部へ出現した後、北東部のピュティウム(en)へ移動して、後背からマケドニアを突く構えを見せた。

しかし、ローマの脱走兵によってこの動きは察知され、ペルセウスは兵12,000の別働隊をコルクルム軍の迎撃に当たらせるべく派遣した。ペルセウス自身は、ピュドナ近郊の平原の南にあるカテリニ(en)の近郊に陣を構えた。

しかし、アエミリウス率いるローマ軍ははブルンディシウム(現:ブリンディジ)からギリシア本土へ上陸、バルカン半島を北上してマケドニアを目指しており、途中でマケドニア軍を破ってローマ本軍へ向かっていたコルクルム率いる別働隊を合体した後に、ローマ軍はカテリニに宿営しているマケドニア軍の前に姿を現した。ローマ軍はオロクルス(Olocrus)山の西側に陣を張った。戦闘の前夜は月食であった。アエミリウスはローマ軍兵士に対して当日は月食となる旨を通告していたため、ローマ軍に動揺は無かったが、マケドニア軍内では月食を王国の終焉を告げる前触れと感じ、士気は低下した。

ピュドナの戦い
後世、ピュドナの戦いと称される戦闘は紀元前168年6月22日の午後に開始された。戦闘開始のきっかけははっきりとしないが、マケドニアに味方して戦っていたトラキア兵がローマ軍の挑発に乗ったことなどとされる。

両軍の兵力には大きな開きがあった。ローマ軍は2個軍団から構成された約29,000(歩兵24,500、騎兵4,500)であったのに対して、マケドニア軍はファランクス21,000を含む約44,000もの大軍であった。但し、騎兵の兵力はほぼ同数であった

プレシン スタン ガッツ ジャー ひのえま トーイ プールバ ジメチル ウイット ブチュ ディス ハピパラ ていてつ コチニー ハトムギ トライク 紅葉雪 スカラ はちのへ ストラ 熱帯雨林 ストーン テンス もみじが NETリブ 恋待月 サーチ 桜坂 チシェリー トートナビ フェノール ツルコ のへじ トレラ ルーセン つるみ デジカルビ ディパー オーナラ すぎごけ デルフ マニフェ デリン ようとう スエヒ レソト スイング リベート ハッピー ミリグラム


ローマ軍は2個軍団を中央に配備して、側面にはラテン人、イタリア人やギリシア人などのアウクシリア、更に最右翼部に戦象22頭とローマ騎兵部隊を配置した。マケドニア軍はファランクス部隊を中央に置き、マケドニア近衛部隊3,000を左翼に、軽装歩兵部隊や各国からの傭兵部隊、および同盟国のトラキア歩兵をファランクスの両側面、ペルセウス自身が率いる神聖部隊(Sacred Squadron)、マケドニア騎兵部隊やトラキアのオドリュシア(en)騎兵部隊が最右翼に配置した。

両軍の激突は15時頃であり、まずはマケドニア軍のファランクスがローマ軍陣地に向かって、徐々に距離を詰めにかかった。アエミリウスは、ファランクスの前進に合わせて、各部隊に最小限の応戦をしつつ後退をするよう合図を送り、初段階はローマ軍がマケドニア軍に対して敗走した形で推移した。

さらにファランクスはローマ軍陣地のあるオロクルス山麓まで前進したが、この段階で密集隊形が基本のファランクスは密集状態を崩した状態であった。アエミリウスは、投げ槍(ピルム)の投擲を行った後にローマ軍団に対して、密集状態を崩して隙間が出来ていたファランクスの隙間を狙って、側面からの攻撃を指示した。ローマ軍の持つ長い剣や重装備は、ファランクスの持つ短剣や軽装備を容易く打ち破り、ファランクスは壊走に転じた。

ファランクスの壊走を見て、勝敗が決したことを悟ったペルセウスは未だ戦闘に参加していなかった神聖部隊や騎兵部隊と共に逃亡した。ペルセウスや騎兵部隊が戦場から離れた後もマケドニア歩兵部隊およびファランクスはローマ軍と戦ったが、3,000名の近衛部隊を含む25,000名の兵士が死傷、ローマ側は1,000名前後の死傷者であったと伝わっている。実質的な戦闘は約1時間であったが、マケドニア軍の掃討が日暮れ過ぎまで行われた。なお、この戦闘にはアエミリウスの息子でスキピオ家の養子となっていたスキピオ・アエミリアヌスが参戦していたと伝わっている。

ペルセウスは王都ペラまで逃れたが、住民はペルセウスを入城させずに追い払った。ペルセウスはサモトラキ島まで逃亡したが、結局はアエミリウスに降伏した。紀元前167年、ローマでのアエミリウスの凱旋式において、ペルセウスは手枷・足枷をはめられた上でローマ市内を引き回された。ペルセウスは凱旋式が終わった後に投獄されたが、程なく釈放されアルバで余生を過ごしたと伝わっている。

マケドニア王国に組した都市は略奪され、住民は奴隷とされた。また、アエミリウスは中立を保ってマケドニアへ支援していなかったエピロスも攻撃して、市民約15,000を奴隷として連行した。アンティゴノス朝が支配するマケドニア王国は消滅し、4つの自治領へと解体された。アンティゴノス朝消滅から20年後の紀元前148年にマケドニアで起こった反乱(第四次マケドニア戦争)を鎮圧したのを機に、紀元前146年に4つの自治領も廃止され、周辺地域も編入した上でローマの属州(マケドニア属州)となった。

ピュドナの戦いはアレクサンドロス3世以来のルーツを持つファランクスをローマ軍の柔軟な戦術が破っての勝利であると考えられているが、ペルセウスの戦術上の失敗とローマ軍との交戦を避けたマケドニア騎兵部隊の柔弱な姿勢によるものとの意見もある。ただし、ピュドナの戦いで、ローマ軍の歩兵部隊が正面からファランクスを撃破したと証明されたことは明らかである。

2009年04月04日

渋川流

渋川流(しぶかわりゅう)は、渋川伴五郎義方が開いた柔術の流派である。系統によって異なるが、柔術以外居合、剣術、その他の武器術も含む系統もある。

母体である関口流(関口新心流)とともに江戸時代に最も広まった柔術流派のひとつである。義方自身は渋川流を称せず「関口流」を名乗っていたこともあって、母体である関口流と混同されることもある。(「関口正統渋川流」等とも名乗った。また初期の江戸の渋川家の渋川流は、関口新心流と内容の多くが共通する)

関口流同様、この流派から分かれた流派は多い。主なものに井澤長秀が開いた関口流抜刀術(肥後流居合)、岩本儀兵衛が開いた転心流、平山行蔵が開いた忠孝心貫流などがある。

渋川家の最後の伝承者(第9代)である渋川英元が昭和20年(1945年)に伝承を断念したため、渋川家の系統は失伝している。

広島藩伝渋川流 [編集]
概論で記載したように渋川本家では失伝した。渋川流として活動しているのは広島藩で伝えられた系統のみであるが、この系統は難波一甫流などの広島で伝えられていた他流の影響を受け、独自の内容に変化している。この系統では、柔術以外に剣術、居合、薙刀術、棒術、十手術、鎖鎌術など数多くの武器術を伝承し、独自の乱捕稽古を伝承している事でも知られる。
現在、この系統の渋川流は大阪府や兵庫県で伝承されている。大阪府警察の逮捕術の教官や機動隊の教官は、この系統の渋川流を研修している。

全国に広まった流儀であり、昭和中ごろまで各地で道場があった記録があるので、この系統以外に渋川流の伝承はまだ存在する可能性がある。

現存する支流 [編集]
現存する支流としては、広島に幕末に浅山一伝流や難波一甫流を学んだ首藤藏之進満時が創始された渋川一流、井澤長秀が開いた関口流抜刀術などがある。

その他 [編集]
漫画『グラップラー刃牙』に登場する柔術家、渋川剛気(養神館合気道の塩田剛三がモデル)は、自身の流派を「渋川流柔術」と称しているが、本記事の渋川流とは全く関係無い。

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2009年03月20日

タキシラ

パキスタン・パンジャーブ州にあるガンダーラ時代に始まる遺構である。その歴史は紀元前6世紀まで遡ることが可能であり、六派哲学の一つであるヴェーダーンタ学派、また、インドの仏教の中心の役割を果たしてきた。1980年にユネスコの世界遺産に登録された。

タキシラは歴史的に3つの重要な交易路が交差する場所に位置していた。1つはマガダ国の首都パータリプトラから続く道であり、1つがバクトリアやペシャーワルといった北西から続く道、最後の1つがシュリーナガル、マーンセヘラー、 ハリープル渓谷を経由してシルクロードへとつながる道である。

タキシラは、パキスタンの首都イスラマバードの西、もしくはラーワルピンディーから北西にそれぞれ約35Km の、グランドトランク・ロードから少し外れた場所にある。

伝説上では、タクシャシラという王国がタキシラを中心とする地域を支配したとされる。サンスクリットでは、タクシャシラとは、タクシャ王に所属する土地を意味する。タクシャは、インドの叙事詩『ラーマーヤナ』に登場するバラタの子供とされる。また、インドを代表するもう1つの叙事詩『マハーバーラタ』では、クル王国の戴冠がタキシラで行われたと伝えられている[1]。

タキシラの始まりは、アケメネス朝における一州として出発している。時代としては、ダレイオス1世の時代とされているが、アケメネス朝によるタキシラの支配は長いものではなかった。また、パンジャーブ州には考古学上、アケメネス朝時代の遺構は残されていない[2]。 紀元前518年にアケメネス朝の支配が始まったとされる[3]。 ダモーダル・ダルマーナンド・コーサンビーの説によれば、タキシラとは「大工」を意味する「タクシャカ」という言葉と関わりがあり、この「タクシャカ」はナーガ族の別称であった。[1]。

紀元前326年、アケメネス朝を征服したアレクサンドロス大王がヒンドゥークシュ山脈を越え、インダス川流域に侵入した。当時のパンジャーブ地方は小王国が乱立していた状態であり、タキシラを支配していたアンビーは、アレクサンドロスに加勢した。その結果、アレクサンドロスは、政敵ポロスを撃破することに成功した[3]。その後、アレクサンドロスは、将軍Eudemusを派遣しサトラップとして派遣していたPeithonをインドから引き上げさせた[4]。

紀元前321年、チャンドラグプタが現在のパンジャーブ地方を含む北西インドの征服に着手を開始した。その後、チャンドラグプタは、マウリヤ朝を建国するにいたった。タキシラを含むパンジャーブ地方は、マウリヤ朝の支配下に入った。チャンドラグプタの孫であるアショーカ王の時代には、タキシラは仏教の中心地となった。とはいえ、必ずしもタキシラ自体は、マウリヤ朝に完全に服従していたというわけでもなく、たびたびマウリヤ朝に対しての反乱が起きた。
タキシラはマウリヤ朝の滅亡の現場にもなった。紀元前185年、最後の王であるブリハドラタが部下によって暗殺された[5]。 このころ、パンジャーブ地方に隣接するガンダーラ地方ではデメトリオス1世率いるバクトリアの活動が活発となっていた。バクトリアは、ガンダーラを征服し、さらに、パンジャーブ地方を経てインダス川流域を征服した[5]。デメトリオス1世は、タキシラの対岸にシルカップ(Sirkap)を建設した。インド・グリーク朝とも呼ばれるこの時代、数回の王朝交代が起きたが、その間、タキシラは王朝の都として繁栄を極めた。この時代に鋳造された貨幣がタキシラの遺跡から出土している。

インド・グリーク朝を滅亡に追いやったのはスキタイ人である。紀元前90年、スキタイ人の部族長が最後のギリシャ系の王をタキシラから追放した。紀元前25年には、ゴンドファルネスがタキシラを支配し、その後、インド・パルティア王国を建国することで、パルティアから離脱した。その際にもタキシラはインド・パルティア王国の首都として機能した[3]。76年には、クシャーナ朝が建国される[5]。その後、クシャーナ朝の下、ガンダーラ美術が開花する。しかし、5世紀になると遊牧民族であるエフタルの侵入を受け、タキシラに建設された仏教寺院やストゥーパは破壊されてしまった。
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タキシラの発掘は、1872年にイギリス人考古学者アレクサンダー・カニンガムによって始まった。数多くのガンダーラ美術の傑作がタキシラから発掘され、1913年から1934年の間には、ジョン・マーシャル卿 (John Marshall) による発掘作業が行われた。マーシャル卿による発掘された出土品はタキシラ博物館に展示されている。

2009年03月05日

ゴブリン(goblin)

ゴブリン(goblin)は、ヨーロッパの民間伝承やその流れを汲むフィクション(主としてファンタジー)に登場する伝説の生物である。以下のような様々なイメージで捉えられている。

ゴブリンとは、邪悪な、または悪意をもった精霊である。
ゴブリンとは、おふざけが好きで意地の悪い(だが邪悪とは限らない)妖精である。
ゴブリンとは、ぞっとするような醜い幽霊である。
ゴブリンとは、ノームまたはドワーフのこと(またはその一種)である。
従って、伝承や作品によってその描写は大きく異なるが、一般に醜く邪悪な小人として描かれることが多い。また、ドイツのコボルトは、上記のゴブリンのイメージに重なる事もあり、英文ではしばしば「ゴブリン」と訳される。 なおホブゴブリンは、密かに家事を手伝う善良な妖精というのが伝承での姿だが、後世のフィクションではゴブリンに似たもっと大型の生物と設定されていることが多い。

ゴブリンの登場する作品
J・R・R・トールキンの『ホビットの冒険』に登場するゴブリンは邪悪で狡猾な種族であった。ただし、この中つ国の「ゴブリン」は『指輪物語』以降「オーク」という名に変えられ、ゴブリンはそれを英語に訳した名であるとされた。これは、作品から童話のイメージを拭い去るためであった。しかしオークであれゴブリンであれ、トールキンが確立したイメージは後世の娯楽作品におけるゴブリン像に強い影響を与えた。

トールキン以前の作品では、ジョージ・マクドナルドの『お姫さまとゴブリンの物語』が良く知られている。この作品では、ゴブリンは地下に住む悪意のある醜い生き物として描かれている。この作品はトールキンも少年時代に好きな物語であったという。他方、やはりトールキン以前の作品であるE・R・エディスン(w:en:Eric_Rücker_Eddison)の『ウロボロス』(w:en:The_Worm_Ouroboros)において、ゴブリンは小麦色の肌を持ち、勇敢で正義心に富む種族として登場し、ゴブリン王である快傑ガスラークに率いられて主人公勢力であるデモンランドを助けてウィッチランドと戦う。

ジム・ヘンソン監督の映画『ラビリンス 魔王の迷宮』(1986年)では、マペットと小人の俳優が演じた多数のゴブリンが登場した。そしてゴブリンの王である魔王ジャレスは異形の生物ではなく、ハンサムで強大な魔力を持ち、冷酷ではあるが決して邪悪ではない存在であった(デヴィッド・ボウイが演じた)。

J・K・ローリングの『ハリー・ポッター』シリーズでもゴブリン(松岡佑子の日本語訳では「小鬼」)が登場する。ゴブリンの経営による銀行・グリンゴッツがあり、その従業員もゴブリンが多い。銀行の業務で金属である貨幣を扱いトロッコにも乗車するが、これはむしろ坑道に生息するコボルトの生態・イメージである。ドイツ語の英語訳でコボルトが「goblin」と訳されることから、「ハリー・ポッター」シリーズにおいてこのようなゴブリン像が描かれたのであろう。

映画『帝都物語』では、大柄ではないが猿のような姿で鉤爪を具える鬼が、工事中の地下鉄トンネル内でトロッコに乗って出現し工事を妨害する。この鬼の生態・姿は、コボルトを含む英語における広義の「goblin」のイメージから創作されたものと思われる。

ゲームにおけるゴブリン
ゴブリンは指輪物語の発表後、テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』においてオークとは別の種族として設定され、オークやコボルトとともに邪悪で人間に対立する人型生物で、独自の言語などを持ち、粗野な部族社会を形成する種族として確立された。あわせてホブゴブリンも大型の近縁種として設定される。これ以降、ゴブリンは雑魚モンスターの代表格として、多くのロールプレイングゲームにおいて登場する存在になっていく。

『ルーンクエスト』(グローランサ)のゴブリンは、「レッド・エルフ」「シダ・エルフ」「スローリフィングス」などとも呼ばれる種族で、植物の種や胞子を介して生殖を行うというきわめて特異な設定がなされている。
コンピューターRPG『ウィザードリィ』シリーズ第3作「Legacy of Llylgamyn(リルガミンの遺産)」においてゴブリンの部族が敵として登場、ゴブリンプリンス、ゴブリンシャーマンといった役割分担が示された。ただし、強力な個体としての「王」の存在は、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』に既に見える。
スティーブ・ジャクソン、イアン・リビングストンの『ファイティング・ファンタジー』においてはトロール、オークの改良型とも言うべき位置づけで登場し、詳細な設定がなされた。
『ソード・ワールドRPG』においては、「ゴージャスなゴブリン」というゴブリンにスポットを当てたシナリオや、ゴブリンの君主を主役にした外伝的エピソードなど、代表的なモンスターとしての役割を担っている。また、山本弘の作品群においてゴブリンが詳しく掘り下げられた。知力的、身体的に優れたロード種や精霊魔法を使いこなすシャーマン種といった上位種が存在する。
『ルナル・サーガ』においては、黒の月を崇める種族として登場。ゲーム的には雑魚としての扱いだが知能が高く魔法に対する偏愛がある。作成されるCP次第では非常に強力な敵ともなりえる。
『ブルーフォレスト物語』においては、降魔の影響を強く受けた種族として、突然変異的な多数の亜種が設定された。中でも「ゴブリナ」は女性しか存在しない愛らしい山の民という設定で、従来のゴブリン像を打ち破り、非常な好評を博した。ゴブリナは『BEAST BIND 魔獣の絆 R.P.G』にもゲストアーキタイプとして登場している。
カニュ デルタ アルベド プロシ ドハウツー ドワイン ドッグカ プレート セレフ ちくせい ファック ろっか クロス ティア パズル データ バビロン ジョドパー ニヒリ ドライ スパーク イカット パプア セコイア 道のかなた あみん ロポリス ラバード トニク ヘリオト ドリーム ナビタフ フリクシ 星屑 イメチ 栗マロン テネシー マクラ トランサー ドルーズ ロボット ルーティン 美しい コロラド デイジー すうせい スパコン キンカン ぴーたん れんが

『ファイナルファンタジーシリーズ』ではシリーズの半分以上に敵キャラとして登場する。敵としては、シリーズのほとんどの作品で雑魚キャラとして扱われたが、『サボテンダー』などと並ぶFFシリーズ内で有名な敵キャラとなっている。
『ウォークラフト』においてはシリーズ2作目以降のすべての作品に登場し、知能が高く機械と火薬を扱うのが得意で、好奇心と無謀なまでの冒険心にあふれる愉快な種族として登場する。最新作ワールドオブウォークラフトでは商人としての側面が追加され、4人の商王子によって世界の経済と流通の安定を担っている種族、とされた。
『マジック・ザ・ギャザリング』のゴブリンはサーペイディア・ゴブリン、モグ、シヴ・ゴブリン、カイレン・ゴブリン、悪忌、ボガードの6種が存在する。ほとんどのゴブリンは凶暴かつ愛らしい言動をするが、シヴ・ゴブリンやカイレン・ゴブリンなどは非常に知能が高い。中にはスクイーやスロバッドなど主役級の役割を果たしたゴブリンも存在する。
『REDSTONE』のゴブリンは槍をもった悪魔型モンスターの一種として登場。前述のとおり悪魔型なので、人型というより犬のような耳の付いた獣人のような形態をしている(最もREDSTONEにおいては同系統のモンスターは体色などの違いで表現してるだけだが)。コボルトの上位種としての位置づけなので雑魚モンスターとしての位置づけは薄い。

2009年02月13日

3LDK

住居の間取りにおける、居間(Living room)+食堂(Dining room)+台所(Kitchen)の他に3部屋という構成。
DEEPBLUEから発売された18禁恋愛アドベンチャーゲーム。以下に詳述。なお、タイトルロゴは最後に?がつくのが正式であるが、記事名では末尾の?は省略する。
キャイ〜ンと谷口宗一による音楽ユニット。
きたみびお 浮草ぐらし ウェッジ ビーピー ツベル タイマー ビヤマハギ フロマ シケイン フリーラジ マスタ わかくさ ハイネッ パラ プロテス ロンネット ソリテー マンス スライド バヌア マート びばい フレアスカ ドトイ ラッシュ ライム ワインバ ナポリタン インゴット リッピン ウェル バター ドグマ とうりゅう スロット モラリ トレジャ フラッシ ヒマワ チャロ ムック テスト パネラー ダース サイト ジャッジ エタイ マッピング 露の契 フェージュ

"浅川雅人"は平凡な高校2年生。両親と元々隣に住んでいたが現在は居候をしながら同じ学校・光葉学園に通っている幼なじみ"妹尾千寿"と、3LDKのマンションの一室で暮らしていた。だが急に両親が海外に転勤となり、その結果千寿と二人暮らしになってしまう…しかも煩い両親の干渉も無く、家事からも千寿に一任して解放される自由奔放な生活が始まる…はずだった。

ところが突如として千寿の姉である早寝早起きが身上のお堅い女性"妹尾蓬"が監視役としてやってきた上に、チンピラに襲われていた人気上昇中のアイドル"宮下綾瀬"を匿ったら居着かれ、更に究極の不幸少女"雪村のえる"と謎の家出娘"日菜"もやってきて折角広かった筈の3LDKにて、女の園に男一人の男女6人同居状態という狭い狭い空間でのドタバタが始まったのであった……。

キャラクター
浅川雅人 (あさかわ まさと)
主人公。小学生の頃はサッカー少年でエースストライカーとして活躍したが、背が伸びないのを苦にして途中で断念してしまった過去がある。
妹尾千寿 (せのお ちほぎ)(声:青葉楓/島香麗子)
身長159cm スリーサイズ B86 W58 H85 体重47kg 誕生日12月10日 射手座 血液型O
元々隣に住んでいたが、1年前の両親の転居を機会に雅人の家に居候を始め、色々と世話を焼くこととなる。周囲からは主人公と公認のカップルのように思われているが、特にお互い否定も肯定もしておらず、恋人同士という意識もない。スポーツで彼女が唯一得意な水泳部に所属している朗らかな少女。口癖「あややっ」
妹尾蓬 (せのお よもぎ)(声:柳井流海/後藤邑子)
身長165cm スリーサイズ B89 W59 H90 体重53kg 誕生日3月18日 魚座 血液型O
千寿の姉。雅人と千寿の監視役としてやってくる。実家は神社で、いつも巫女装束を着ている。実際の職業も巫女である。男女間の交際に関してはとってもお堅い考えの持ち主。お姉さん口調で話すが、のほほんとした雰囲気である為あまり説得力は無い。口癖「めっ」
宮下綾瀬 (みやした あやせ)(声:長崎みなみ)
身長157cm スリーサイズ B78 W55 H81 体重44kg 誕生日4月19日 牡羊座 血液型A
現役アイドルだが現在は仕事に気が乗らず、無責任にも失踪中。気が大変強い。生まれつき器用で殆どあらゆる事に長けるが自炊、掃除、洗濯などの生活能力は皆無で努力する意思も意欲も無い、生活破綻者。口癖「ぶっ殺す!!」
雪村のえる (ゆきむら のえる)(声:木葉楓)
身長163cm スリーサイズ B83 W56 H84 体重46kg 誕生日12月24日 山羊座 血液型A
金髪ロングヘアーに真っ青な碧眼、純白の肌という西洋人で、お嬢様的な外見を持つ美少女であるが実は孤児で超不幸少女。さらには一人暮らしを決意するが悪徳不動産屋に騙され引越し資金を失うなど散々。貧乏性(実際に裕福ではなく奨学金を受けている)で極度の男性恐怖症。 12月24日の雪の日に孤児院「にこにこハウス」の前に捨てられていて肉親は無く、13回も請われて養女に出されるがいずれも破産するなど里親が不幸に会い、自分と関わると他人が不幸になると思っている。学校に通う時は眼鏡っ娘で地味な存在。大好物は夕張メロンキャラメルで、それは彼女の生活上、最高の贅沢品である。
サイキック能力?(彼女の意思では無く、近寄る男性に向かって物体が飛来したり落下したりする)有り。口癖「ストップですぅ!!」
日菜 (ひな)(声:乃田あす実)
身長150cm スリーサイズ B74 W49 H75 体重39kg 誕生日2月7日 水瓶座 血液型AB
謎の家出娘。自称トリケラトプスの子供。遺伝子操作により誕生した人造人間の為、両親は居ない。英国の大富豪が日本に留学中に恋をした「日菜子」をモデルに日菜を創造。
本名 日菜子・ビクトリア・オースティン。口癖「エロエロ〜」

2009年01月27日

MiG-23 (航空機)

MiG-23(ミグ23;ロシア語:МиГ-23ミーグ・ドヴァーッツァチ・トリー)は、ソ連のミグ設計局が開発した戦闘機。MiG-21の後継機となり、アルチョム・ミコヤンが最期に手がけた機体であった。

北大西洋条約機構(NATO)の付与したNATOコードネームは「フロッガー(Flogger: 鞭打ち係)」であった。

1967年4月3日(23-01のもので、この機は可変翼機ではない)に初飛行した。また、MiG-27(МиГ-27)はMiG-23の発展型で、ソ連国内向けの戦闘爆撃機として開発された。

1960年代にミグとスホーイ両設計局がSTOL用リフトエンジン搭載有尾翼デルタ機と可変翼機の製作を指示されたのが始まりである(ミグは1960年代初めから可変翼機の研究をしていたが、当時は技術的に困難であった)。ミグは新型機を製作するにあたり、リフトエンジン2基を搭載する実験機23-31(MiG-21PD)を1966年に製作し、これ機体のデータを基にしたSTOL機23-01(MiG-23PD)と、可変翼の23-11(MiG-23)を同年に製作した。翌年の実験で23-01が機体重量と空間の限界や整備面でこの方式が実用的でないことが判ると、23-11が採用された。

可変翼は、アメリカ合衆国の開発したF-111戦闘攻撃機(戦闘爆撃機と呼ばれることもある)やF-14戦闘機、ヨーロッパで共同開発されたトーネード攻撃機など1960年代後半から1970年代前半の軍用機に共通する特徴で、このような航空機は可変翼機と呼ばれている。この時期の軍用機は敵に滑走路を破壊された場合の対処方法を重要視して設計されており、離着陸距離を短縮できる可変翼機や滑走路を必要としないVTOL、STOL機に大きな関心が集まっていた。可変翼は、高速で飛行する際は翼を後退させて抵抗を減らし、離着陸や低速飛行の際は前に広げて揚力を大きくすることができた。MiG-23も可変後退翼の採用によって、離着陸距離を短縮している。

ただしF-14の可変後退翼はさらに進歩しており、後退角や後縁フラップを自動コントロールにして空中格闘戦能力が大幅に向上していた。一方後退角を手動で制御するMiG-23の前期型(MiG-23Mなど)までは格闘戦能力の向上効果は無かった。MiG-23の可変翼は、油圧で後退角度(16度?72度)が変わるものであったが、戦闘時には主翼を45度の位置に固定させようになっていた。しかし後期型では改善され、戦闘時の後退角度はMiG-23MLDでは33°に変更され、後退角度制御こそ手動のままであるが、前縁フラップは自動制御になり、格闘性能を向上させている。

MiG-23は本来、前線の制空権を確保するための前線戦闘機であるため、空中戦のみならずある程度の対地攻撃能力も持つよう設計されていた。MiG-23ML等後期型では種別は多用途戦闘機に変更されており、アンゴラではMiG-23MLAの対地攻撃能力に対して高い評価が出されている。また、特に対地攻撃を重視した派生型もあり、その内ソ連空軍向けに開発された機体はMiG-27と呼ばれている。一方その輸出向けの機体の名称はMiG-23のままであり、名称の変更の有無はソ連内の予算獲得問題の関係(名称が違うと予算が付きにくい)であったと言われている。

発展
戦闘機型としては、初期レーダー搭載型MiG-21同様のサプフィール21レーダーを搭載した初期生産型のMiG-23S、本来のサプフィール23を搭載し1970年代にソ連空軍の主力となったMiG-23M、及びそのダウングレード・輸出型のMiG-23MSとワルシャワ条約機構向けの輸出型MiG-23MF、機体構造を全面的に見直しエンジンを換装した後期型のMiG-23ML、その防空軍向けの迎撃戦闘機型MiG-23P、それに準じた空軍向けのMiG-23MLA、第4世代機に対応するための改良型MiG-23MLDとその輸出型などがあり、戦闘爆撃機型には輸出向けのMiG-23BN、ソ連空軍向けのMiG-27/K/M/D及びインド空軍向けのMiG-27ML(MまたはLとも呼ばれる)、その他練習機型の前期型MiG-23UBと後期型MiG-23UMなどがある。艦上攻撃機型MiG-27は量産されなかった。なお、攻撃機型MiG-23/27シリーズの国内対抗機と言える機体にSu-17シリーズがある。Su-17シリーズはいずれも前線偵察機としても使用されたが、MiG-23/27シリーズには結局、偵察能力は付与されなかった。

配備
MiG-23はブルガリア、ルーマニア、ポーランド、チェコスロヴァキアといった東側諸国へ相当数が輸出され、その他にはアルジェリア、インドといったアジア、アフリカ等の非同盟諸国やキューバ、アンゴラといった社会主義・共産主義諸国にも輸出された。また、日本周辺では朝鮮民主主義人民共和国に約46機が配備されており、2003年3月にMiG-29 9-13と共に米軍偵察機RC-135を迎撃したことは記憶に新しい。

しかしながら、冷戦終結に伴う各国の予算逼迫によりMiG-23の多くは既に退役しており、ヨーロッパでは2002年10月のブルガリア空軍からのMiG-23MLA/MLD/UBの退役を最後に姿を消した(但し、同空軍が1機のみ保有していたMiG-23MLはその後も運用されていたという。また、MiG-23BNもしばらくは保管状態であったといわれる)。

ウクライナではMiG-23M及び後期型(主としてMiG-23MLD)や複座型、並びにMiG-27(サブタイプ不明)がMiG-21やMiG-29などとともにリヴィウやオデッサの飛行場に列をなしている2005年や2006年の写真が存在するが、運用中であるということではなく近年退役して保管状態にあるものと考えられる。このほか、ビーラ・ツェールクヴァでの保管機、ハルキウでの教材用保管機などが知られる。但し、ウクライナ国防省の公式ページでは現在の運用機に含まれており、一部資料では100機以上が現役にあるとされる。

ベラルーシでの現況は不明であるが、若干機数が保管状態にあるようである。

ロシアではMiG-23MLDを中心に若干数が試験用途等に運用されている模様であるが、本来であれば遙かに多くの機体が第一線、第二戦で運用されているはずであった。ヨーロッパからMiG-23が姿を消していった主な理由は、冷戦終結により単純に作戦機数が過剰となったこと、経済状況の悪化に関連し、可変翼による複雑な機体構造とその維持費の高さの問題、そして欧州通常兵器制限交渉などであった。ロシアに関しては、欧州通常兵器制限条約締結の他に空軍の「以後の作戦機はすべて双発とする」とした決定もあり、1990年代の経済崩壊がさらに退役を早めたといえる。

これら多くの国でMiG-23/27の退役が進む一方、2005年になってアンゴラはロシアに対し自国のMiG-23を能力向上型のMiG-23-98に改修する契約を結んでおり、2007年現在実際に改修されたとされる機体の写真が公表されている。また、リビアのMiG-23MLAもウクライナでオーバーホールを受けている。コンゴ民主共和国では、新規に中古の複座型が導入されている。コート・ディヴォワールでは、フランス軍によって破壊された同国のSu-25UB(旧ベラルーシ空軍機)の補完として旧ブルガリア空軍機のMiG-23MLD(輸出型)が輸入されている。世界ではより新しい機体の導入も難しくはなくなっているが、こうした新たな動きから、今後すぐにMiG-23シリーズが世界から全廃されることはないようである。
リーベ フラッ ザイル クチン セドラ タコメ ブラウ レット シスプ じゃくやく ラップワピ デリバリ ツワブキ フリーダム ソート ナビタイア メンマ タルト ガネット スニファー オート スコア えーびー ちょうい たんし ニヒル モップ 国内チュ ティーン ギャレー 幻のユウ ブイゾ シールド パサー タジン ダウンライト コスル ナポリ ヒモパン ジューシー ショー ポニカ いーん リターン パリー トライア バスー 山菜サーチ ヴェリ ローズ

成績
MiG-23は旧来西側からは非常に低く評価されてきた。これはMiG-25が一時過大評価されて相対的に低く評価された事も影響しているものと思われる。冷戦終結後その評価は一変し、特に全面的な改設計により大幅に能力を高めたMiG-23ML以降の後期型に関しては、西側のF-4ファントムIIを凌駕する性能を認めた。また、その攻撃力と加速力の高さによりF-16、F/A-18等にとっても脅威になると考えられている。ミグ航空局ではマッハ1前後の加速力は F/A-18 を凌ぐとしている(ただしF/A-18は元より加速性能が弱点として挙げられている機体である)。しかしながら、スピードと遠距離からのミサイル攻撃を重視するという設計当時の世界的な潮流に漏れず、MiG-23も空中格闘戦向きの設計にはなっていない。とは言え、主翼が前進状態ではそれなりに敏捷であり、アンゴラでは、インパラとの至近距離(半マイル程度と言われる)のドッグファイトで相手を撃墜している。

実戦においてより大きな役割を果たしたのは攻撃機型で、インドやスリランカ、エチオピアなどでの働きが知られている。

MiG-23は、対戦闘機戦闘においては、使用国自体の体制的な問題もあり、西側製の戦闘機に多くの場合敗れている(アンゴラは、有利な体勢で戦闘を行うことの出来た希な例である)。リビア空軍機をアメリカ海軍機が撃墜したことはアメリカ合衆国によって広く宣伝された。また、イスラエルも同様に自国の戦果を大きく宣伝しており、多数のMiG-23を撃墜し自らの損害はごく僅かであったとしている。中東戦争やその後の消耗戦、イラン・イラク戦争及び湾岸戦争以降のイラクでも多くの機体が撃墜・破壊されたとされている。一方、使用国及びソ連側からは戦果として主張されているケースも少なくない。 なお、重度のプレッシャー下にあることによる戦果の過大な報告に加え、損傷と撃墜・撃破の差異がつかず帰還機が「撃墜」と報告されることも多く、事後にならなければどちらの側の情報も信憑性は高くはないため、実際の「成績」を知ることは著しく困難である。

以下は伝えられるとおりの情報の簡略な紹介である。

リビア対アメリカ合衆国
1989年1月4日にリビア空軍のMiG-23MSがアメリカ海軍のF-14Aの攻撃により撃墜されるという事件が起こった。この事件は、1989年のシドラ湾事件と呼ばれる。なお、このとき撃墜された機体がMiG-23MSであるとするのはロシア側の資料であり、アメリカ合衆国側の情報ではこれはMiG-23MLであったということになっている。
シリア対イスラエル
1982年6月のベッカー高原空中戦では、シリア空軍のMiG-23MSがF-16AやF-4Eなど12機を空中戦で撃墜したとシリアによって公表されている。なお、MiG-21もF-15をはじめとする5機を撃墜したとされている。一方、ソ連の資料に拠ればシリア空軍の空中戦の戦果はすべてMiG-23によるものであり、5機を撃墜、損失は6機であった。また、イスラエルに拠れば同国国防軍空軍は十数機のMiG-23を撃墜したとし、空中戦における損害は皆無であったとしている。
その後もイスラエルとシリアの空軍はしばしば衝突を繰り返していたが、ソ連の資料に拠れば、シリア空軍に新型のMiG-23MLが供給されてより短期間のうちに3機のF-15を撃墜し、MiG-23MLの損失は皆無であったとされている。一方、日本をはじめとする西側諸国では、F-15は一度も撃墜されたことのない「無敵の戦闘機」であるとされており、イスラエルの記録ではMiG-23全機種を通算して20機以上の撃墜が報告されている。
イラン・イラク戦争
1982年9月22日から始まったイラン・イラク戦争では、イラク空軍のMiG-23MS/MLが7機のイラン空軍機を撃墜したと主張されている。
なお、イラクのMiG-23MLにはミラージュF1EQ-5/6からパイロンを流用し、エグゾセ対艦ミサイルを搭載できるよう改修された機体があった。この場合、エグゾセを機体中央線下に装着するため、本来の固定装備の連装機関砲は取り外されていた。
湾岸戦争
1991年1月17日から始まった湾岸戦争においては、開戦初日にイラク空軍のMiG-23MLがイタリア空軍のトーネード1機を撃墜したと主張されている。実際、同日にイタリアのトーネード1機が原因不明の未帰還となっているので、イラク側の主張が正しい可能性はあると思われる。但し、MiG-29によるとする説もある。
なお、湾岸戦争前に海外へ補修等に出されていたイラク空軍の機体は、東ドイツへ渡されていたMiG-21bisをはじめどれも本国に返還されなかったが、MiG-21bis/UMなどとともに1機のMiG-23MLAもユーゴスラヴィアから返還されなかった。この機体は他のMiG-21などとともにユーゴスラヴィア空軍及び防空軍に編入されたのち、現在ではセルビアの博物館に野外展示されている。
アンゴラ
アンゴラでは、同国空軍及び支援していたキューバ空軍のMiG-23が南アフリカ共和国のインパラやミラージュF.1CZとしばしば空中戦を行った。こうした中、南アフリカもインパラ、ミラージュF1各1機の損失を認めている。
インパラは練習機兼用の攻撃機でMiG-23の方が圧倒的に高い能力を持っているこのの、MiG-23とミラージュF1とでは機体の決定的な性能差はなく、むしろ南アフリカの搭載ミサイルであった短射程ミサイルR550マジックとアンゴラが使用したR-24の差異に拠るところが大きいと言われる。しかし、その一方で短射程のR-60Mミサイルを用いたドッグファイトによるミラージュIIIの撃墜もキューバは主張している。キューバ側がMiG-23による撃墜と主張している事例に対し、南アフリカ側がSAMによるものと強弁しつつ損失を認めているものも幾つかある。なお、アンゴラのMiG-23の機上レーダーは南アフリカの戦闘機のレーダーより高性能であったが、その稼働率は極めて低く、レーダーの性能差によるアドバンテージは得られていなかったと考えられている。また、これと関連し、レーダー誘導ミサイルの稼働状況も万全なものではなかったとの説もある。
戦果の一方で、当時最新型のMiG-23MLAをはじめ数機が南アフリカ共和国軍の戦闘機の機関砲によって損害をうけており、また地対空ミサイルの攻撃により撃墜されている。なお、アンゴラではキューバ空軍のMiG-23BNも活動していた。
冷戦が終了するとキューバは撤退したが、そのためアンゴラ政府軍は苦境に立たされた。アパルトヘイトの廃止後南アフリカ共和国と停戦したアンゴラ政府は、1990年代半ばより南アフリカ共和国の元軍人の創設した民間軍事会社エグゼクティヴ・アウトカムズ社に支援を求め、アメリカ合衆国のCIAの支援により政府に対するテロ行為を行ってきた反政府ゲリラに対する戦闘を続行した。その結果政府軍はゲリラ側を圧倒し、どうにか和平に漕ぎ着けることに成功した。この戦闘において、南アフリカ共和国空軍の元パイロットであった社員はかつての敵機MiG-23MLAに対し、特に23mm連装機関砲の対地攻撃における威力は素晴らしいという評価を下している。
なお、アンゴラでは1990年代以降中古のSu-27SKやSu-25を導入しているが、これらは古いMiG-21MF/bisやSu-22(Su-17M2の輸出型)などの代替であり、MiG-23MLAはMiG-23-98仕様に改修されて今後も使用される予定である(MiG-23MLAより古いMiG-23MFについては不明)。
ソ連のアフガニスタン侵攻
MiG-23が実戦活動を行った軍事行動の中で最もよく知られているのはソ連のアフガニスタン侵攻である。この戦争では戦闘機型のMiG-23も主として地上目標に対する攻撃任務に投入されたが、空中戦における戦果も報告されており、ロシアの情報に拠れば、MiG-23MLDがR-60によってパキスタン空軍のF-16A 1機を撃墜したとされている。パキスタンはこの損失を認めているが、自軍機の誤射によるとしている。
また、ソ連のアフガニスタン侵攻に際してはMiG-27各型が空軍戦力の主力として投入されたが、アフガニスタンの複雑な地形に悩まされ思ったような成果は挙げることができなかったようである。
大韓航空機撃墜事件
大韓航空機撃墜事件の際にはソ連防空軍のMiG-23P数機が迎撃に上がりSu-15TMを補佐、結果、Su-15のR-98ミサイルによる旅客機の撃墜に至った。一部では、MiG-23が撃墜したとする情報も流れたが、MiG-23は迎撃には参加したものの実弾は発射しなかった。
アフリカの角
エチオピアは隣国エリトリアとの戦争においてMiG-23BNを航空戦力の主力としていた。一方、エリトリアもMiG-23BNを用いエチオピア側を攻撃した。
スリランカ
スリランカ空軍のMiG-27Mは、タミル・イーラム解放の虎(LTTE)への切り札としてMi-24V/Pなどとともにウクライナから輸入され、同じくイスラエルから輸入されたクフィルC7とともに主力爆撃機として使用された。これら大幅な戦力の増強によりスリランカ政府軍はLTTEを力で屈させることに成功したかに思われたが、恒久的な和平を結ぶという政治プロセスにおいては未だに解決を見せていない。
インド対パキスタン
インド空軍へは、それまでのSu-7BMKやHF-24マルートの代替としてMiG-23BNとMiG-27MLが配備されたが、そのうち1機のMiG-27MLがパキスタンとのカシミール地方を巡る紛争で対空砲火によって失われている。
リビア
リビアとエジプトやチャドとの戦闘でもリビア空軍のMiG-23が使用されたとされている。
朝鮮民主主義人民共和国
2003年3月に、2機のMiG-23がMiG-29 9-13と共同で米軍のRC-135偵察機を迎撃した。